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半蔵門ギャラリー 中尊寺伝来金銀交書経  

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「奥州藤原氏三代の作善(さぜん)として、造寺造仏とともに平泉の仏教文化を象徴するものに経典を書写した写経がある。その一つは、もっとも有名な『清衡経』の名で呼ばれる『紺紙金銀字交書一切経』(1113~20)である・・初代清衡(1056~1128)が自分よりやや年長であった白河上皇(1053~1129)の長寿を祈念し、あわせて自らの功徳を求めんがため書写したものである。5390巻近い仏典を集大成した一切経の経文を、紺紙に金字と銀字で一行ごとに書写する仕様を清衡があえて選んだのは、白河上皇の金泥一切経書写と同じであることをはばかり、より手間ひまのかかる作善を志したのではないだろうか・・金銀字交書の一切経は清衡が行ったのが後にも先にも唯一の例である」
『平泉 浄土をあらわす文化遺産の全容』有賀祥隆氏の解説より

本紙は、この藤原清衡発願による中尊寺伝来、紺紙金銀字交書一切経のうちの『阿育王經』(*)の卷第十からの12行です。

この阿育王とは、昔世界史で習った、アショーカ王(BC268 ~ 232在位)のことで、以下に『大法輪 仏教人物事典』の解説を引用します。
「インド、マウルヤ王朝の王。国家統一を成し遂げ、インドを史上最大の帝国になした。はじめは武力による征服を行ったが、カリンガ征服の悲惨を見て、法による征服に転換。統治の理念と在世中の事業を法勅として石柱や岩壁に刻む。法勅中には仏教教団の分派を忠告するものもある。法大官を設置。仏教に帰依し、仏舎利を八万四千塔に分けて祀った。」

仏教はBC6 ~ 5世紀頃、インドでお釈迦様により生まれ、BC3世紀にインドを統一したアショーカ王はその仏教に帰依し、彼の史伝は梁(6世紀)の僧伽婆羅により漢訳され、やがて海を越え日本に伝わり、12世紀には東北の地で、美しい金銀泥による装飾経となったのです。それから更に八百年の時を経て今ここにあります。

金泥経は、いずれも美しいものですが、当時金が豊富に産出された奥州で書写された中尊寺経は、金が特に濃く、一段と煌びやかに輝きます。
太巻
軸:110 x 38cm 本紙:25 x 22.4cm

表装(袈裟をほどいたものなど)、金軸ともに古いものを使用しています。

*『阿育王經』
「梁の僧伽婆羅の訳(512)・・阿育王(**)の事跡および摩訶迦葉(まかかしょう)から優波毱多(うはきくた)までの諸師についての説話を含む。」
『総合 仏教大辞典』

経文(銀泥にて書写された行、括弧内は、酸化で黒ずみ、判読し辛くなっています。)

多爲其説法。比丘精進思惟即得阿羅漢果。
(乃至取籌置石室中)
覺因縁
(爾時摩偸羅國有一長者兒。典領家業未)
經幾時。而白父母。聽我出家。乃至優波笈多
(與其出家。即爲説法。令入山坐禪。比丘受教即)
入山中。在一樹下結跏趺坐。是比丘未出家時
(有婦端正。及其坐禪思惟其婦。時優波笈多)
化作其婦以住其前。比丘見已而語之言。汝何
(故來。女人答言。汝喚我來。比丘語言。我在此)
坐。未曾出言。云何喚汝。女人答言。汝以覺觀
(喚我。非是發言。時彼女人即説偈言)

引用で使用した『平泉 浄土をあらわす文化遺産の全容』お付けいたします。
 


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