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半蔵門ギャラリー 高田十郎手拓頭塔石仏  

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奈良を愛してあいした高田十郎氏(1881 - 1952)が手拓された奈良の頭塔石仏の拓本です。

頭塔について、奈良県ホームページの一部引用です。
「史跡・・東大寺南大門から南に約1キロ・・土壇からなる非常に珍しい奈良時代の塔・・奈良時代の僧玄昉の頭を埋めた墓との伝承が・・名前の由来とされ・・大正11年(1922)国の史跡に指定・・頭塔の造営は、神護景曇元年(767年)に東大寺の僧で二月堂修二会(お水取り)を創始した実忠が、東大寺別当の良弁の命により造った塔であるとされ・・この頭塔に類似するものとしては、行基が関与した堺市の土塔があります」

高田十郎氏その人を知ることは、この拓影を鑑賞するにあたり意味があると思われるので、『奈良町風土記続々編』山田熊夫 著 より引用します。
「兵庫県赤穂郡矢野村字小河に明治14年誕生、明治40年(1907)早稲田大学歴史地理科を卒業、奈良県立師範学校に奉職、国語・漢文科を担当、昭和16年(1941)退職されるまで25年間勤務、その後、奈良県庁観光課の嘱託として勤め、大いに県下の歴史・地理・文化の研究と宣揚に一生を捧げられ、昭和27年72歳で他界。・・「正規の授業を終わると七つ道具(拓本用具・磁石・物差・地図・年表・細紐・電池・手帳・ナイフ・雑巾など)の入ったカバンを肩にかけ、郊外に出て・・史跡歴史・古文書などの調査・研究に専念された。・・研究・調査を終わるとガリバン刷りにし、自費で『なら』として発行し、同学の人々や知人に配布されたのは大正九年(1920)第1号・・57号に及んだ。その後は『奈良雑記』となり、明治40年(1907)から45年間にわたって見学、調査報告、随筆といった形で382巻・・昭和九年(1934)先生の発案で奈良郷土会が生まれ・・先生は毎朝、町の掃除をされ・・木辻町で落ちていた塵紙が江戸時代のもので大よろこびされたというエピソードも伝えられている」

墨書「頭塔 北ノ最上 なら 高田十郎 大正十三年五月三十一日 朝 拓」(*)

高田十郎氏は、ガリ版刷り『なら』に「家蔵拓本目録」(大正十三年四月十五日現在)があります。そこに掲載の頭塔石仏の拓は大正五年のもので、本拓ではないのですが、『なら』の日誌、大正十三年の五月三十一日に「東大寺図書館ニイッテ、和田治君ノ案内デ、ハジメテ書庫ミル」とありますので、この日の朝、図書館に行く前に手拓されたのかしらと思っています。

神護景曇元年(767)、時の東大寺別当良弁の命により、実忠(お水取りを創始した僧)が造営した階段ピラミッド状の土塔の壁面を飾った複数の石仏(**)のうちの一つ、北の最上「単層楼閣五尊像」を高田十郎氏が大正13年5月31日手拓、一世紀ほど前の拓影です。
ウグイス色の上下に桃色のスジが映える洒落た表装です。

ご覧のように大きな軸です。飾った様子を最後の画像でご確認ください。また状態も経年の薄茶のシミが全面に広がっています。中央の画像でご確認ください。箱はございません。
軸:140(h) x 106 cm 本紙:75.5(h) x 90.5 cm


「年」の崩し字を『かな字典』を参考にし、大正十三年と読みました。

**
「13体しか確認できていなかったが、発掘の結果、東西南北の各面に11体、合計44体の石仏が置かれ・・ていたことが判明した」
『会津八一の見た寧楽の仏たち』新潟市会津八一記念館



45,000円


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