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半蔵門ギャラリー 難波宮三重圏文鎧瓦  

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神亀三年(726)、現在の大阪の上町台地に、聖武天皇による難波宮(後期難波宮)の造営が始まりました。そこで使用されたと考えられる難波宮三重圏文鎧瓦(なにわのみや・さんじゅうけんもん・あぶみかわら)です。この大胆で明快な三重圏文は、後期難波宮で初めて考案された意匠です。

かの大化改新(645)後、孝徳天皇の御代、「都を難波長柄豊碕(なにわ・ながら・とよさき)に遷す」と『日本書紀』に記され、さらに、白雉元年(650)難波長柄豊碕宮造営に着手、白雉三年完成、と記されるも、その地は長い間不明でしたが、大正二年(1913)建築家、置塩章(おじおあきら)氏が大阪旧陸軍施設で、重圏文・蓮華文軒瓦を採集したことで動き始めます。古瓦を実見された山根徳太郎・現大阪市立大学教授が中心となり調査組織が立ち上がり、1954年発掘調査開始、1961年、聖武天皇時代の難波宮大極殿跡発見、という快挙につながりました。調査は続けられ、その後、前後二つの時期の宮殿がほぼ重なった状態で存在し、それぞれが、大化改新後の孝徳天皇の難波遷都で造営の難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)と、神亀三年の聖武天皇により造営の始まった宮殿跡ということが判明したのです。

三重圏文鎧瓦から、難波宮跡発見に至る経緯を、大変僭越ですが、簡単にご紹介しました。風雨に晒され、土中で眠り、永い月日を経てふたたび姿を現した瓦は、丸みをおび、とても柔らかく美しい肌をしています。

後期難波宮の三重圏文鎧瓦は、直径約13cmから20cmのものまで、17型式確認されており、本瓦は径18cmです。尚、前期難波宮では瓦は一切使用されなかったといいます。
二箇所で自立します。花器としても楽しめると思われます。箱なし

参考資料
・『日本の美術 #66 古代の瓦』
・『難波宮 NANIWA NO MIYA』季刊大林
・『発掘速報展 大阪2001』
 


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