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半蔵門ギャラリー 法隆寺伝来百萬塔  

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その製作総数から百萬塔と呼ばれる、奈良時代に作られた木造三重小塔です。
木目、轆轤跡、そしてところどころ白土が残る、1250年という時の流れが美しく顕れた百萬塔です。

百萬塔が作られることに至った経緯については次のようにあります。
「・・作るきっかけとなったのは、今から約千二百年前の764年、当時の太政大臣の藤原仲麻呂の起こしたクーデターである。孝謙女帝はクーデター鎮圧後、陀羅尼経に、小塔を作り陀羅尼経を安置すればその功徳で一切の罪が消え悪賊や怨敵が自ら鎮まる、とあることから、百萬塔を製作した・・クーデターから6年後の宝亀元年(770)・・三重小塔百万基が完成し、諸大寺に分置・・法隆寺の百万塔だけが今日に伝わった」(*)

本百萬塔について(中央画像をご参照ください。)
・相輪部の請花上面に墨書があるようですが判読できません。
・基部側壁に「二」との打刻があります。これは塔身に納められた四種の陀羅尼経の種類に関係し、「二」は相輪陀羅尼経の意、との説があります。本陀羅尼はその相輪陀羅尼経でした。
・塔身部底面に墨書があります。箱の貼り札にあるように「十月六日和」と読めます。
日付の次には工人名が記されることが多く、「墨書に見える工人名が二百五十人余り」(*)の塔身部銘文集成(*)から「和」で始まる名前を見ると、和万呂との名前がみつかり、ざっと数えると、総数約五千の墨書の内、60強(**)ありました。
・もう一枚の貼り札の「雲華含旧蔵」、および蓋裏墨書の最後の行「天保四年癸巳五月雲華含識」から、旧蔵者は、江戸後期の真宗大谷派の学僧、雲華大含(安永2(1773)〜 嘉永3(1850))だったようです。「天保五年・・講師職を授けられ」『真宗大辞典』とあり、この識を記した頃、学僧としての地位がより確立されていったのでしょうか。

状態は見たとおりです。相輪部の請花に爪の先ほどの共直しがありますが全く気にならないと思われます。

工人名には、和麻呂、倭万呂(***)などもあり、これらも同一人物かと考えます。60をこえる和万呂との墨書、これは少ない数ではなさそうです。工人「和」氏は、熟練工であったのかもしれません。


*『昭和大修理記念 法隆寺展』
** 墨書「和」の次に見える「一」は「万」の第一画だと考えます。
*** 和麻呂と倭万呂の墨書はそれぞれ一つ二つでした。
 


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