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総高わずか5.5センチの木造宝篋印塔です。
経年による深い味わいをみせる黒みを帯びた木肌と、擦り落ちつつも厚く塗られた胡粉の古色が織り成す景色、四隅の隅飾りや数ミリ単位で刻まれている段々など繊細にして力強く、安定感ある魅力的な籾塔(もみとう)です。
「「大神」と書いて「おおみわ」と読むように、古くから神様の中の大神様として尊ばれ・・わが国最古の神社といわれており・・中世には神宮寺であった大御輪寺や平等寺を中心に三輪流神道が広まり・・」(*1)この大神神社の神宮寺であった大御輪寺に伝わったものです。
宝篋印塔という「名称は、宝篋印陀羅尼経を納めることから出たが、他のものを納めても宝篋印塔という。密教系の塔として鎌倉中期に現われたが、それ以後後世まで宗派を超えて流行した」(*2)
大御輪寺籾塔の制作時期は、鎌倉時代(*3)です。宝篋印塔伝来が鎌倉中期とすれば、大御輪寺籾塔は、その後間もなく制作されたことになります。僅か数センチの木造小塔に存在感のあるのは時代のなせる技であったのです。
比較的目にすることの多い室町時代中期制作(*4)のすらりとした室生寺籾塔と比べていただければ、時代の差は歴然です。
籾塔の名称は「木製宝篋印塔の底部に舎利孔をあけ、中に仏舎利のかわりに籾ひとつぶを納めている・・」(*4 )ことによります。
大御輪寺籾塔について、石田茂作先生は、相輪のあったもの、底面の孔に籾や陀羅尼を納めたものに出会ったことがないと書かれて(*3)います。よって本籾塔は見た目に美しいだけでなく、完璧な状態と考えます。そして経年の柔らかみが加味され、製作時より一段とその魅力を増したように思われます。
*1 大神神社ホームページ
*2 『総合 仏教大辞典』法蔵館
*3 『廃瓦塔の由来』石田茂作・参考画像
*4 『仏教美術入門展』佐野美術館
・落とし蓋に大和室生寺百萬塔と墨書されたお箱に納められておりました。
・大きさを実感していただければと、ほととぎすを添えました。
どうもありがとうございました
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