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こちらの天平経は『永恩具経』と呼び慣らわされるものです。
「永恩は、鎌倉時代の興福寺の僧で、貞永二年(1233)に、その頃諸寺が蔵していた欠本のある天平書写の「大般若経」を何種類か寄せ集め、不足の分は平安朝初期のものを加えて六百巻一具として河内国玉祖明神に奉納したと伝えられる」『植村和堂コレクション 古写経』
巻末を既にご紹介しておりますので、そちらもご参照ください。
表具は、茶と濃紺でまとめました。
上下の茶は袈裟をほどいたものです。
「袈裟とは、仏教誕生の地インドにおいて仏教修行者をほかの宗教の修行者と見分けるために定められた制服で・・生地の色は壊色(えじき)と呼ばれる褐色・青・黒などの濁った色。実は「袈裟」とは「壊色」のサンスクリット語kasayaを音訳したもので、本来は袈裟にふさわしい濁った色を意味する言葉」
『高層と袈裟』京博
同図録には、この上下と同じような、やや赤みを帯びた茶の袈裟がいくつも載っております。また中廻しと風帯は、濃紺の地に印金と言うのでしょうか、輝きの穏やかな金で唐草紋や蓮と思われる花がちりばめられております。
同図録の「ごあいさつ」に次のようにあります。
「日本には、数百年、時には千年以上もの間、大切に守り伝えられてきた衣服があります・・「袈裟」・・仏教の僧侶が着る制服です・・仏教が伝えられた国々の中でも、これほどの多くの、そして古い時代の袈裟を伝える国はほかにありません」
日本は、ほんとうに古いものを大切に伝えてきた国であり、この古いものを次世代へ伝えていくという行為、そのものが日本の文化なのだ、と改めて認識いたしました。
むずかしい話はともかく、しゃれた表装に仕上がったと思われるのですが、いかがでしょう。
高さ 93 cm 巾 60.5 cm 太巻き
本紙の状態:所々に虫孔あり。
どうもありがとうございました
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