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天平経の中、最も有名な紙本墨書のひとつで、その奥書の日付から『五月一日経』と呼ばれる光明皇后発願の一切経です。
著名な理由の一つには残巻数の多さもあり、色々なことが分かっています。
「この一切経は玄坊(*坊、正しくは日偏)が唐から将来したばかりの五千余巻を底本とし、天平八年(736)皇后宮職の写経所で書写が始められ、十二年(740)巻尾に光明皇后の願文が書き加えられることになり、その日付が天平十二年五月一日であった・・写経事業は一時中断・・十三年(741)閏三月再開し、天平勝宝八歳(756)まで続いた。書写総数は七千巻に及んだと推定され、うち七百五十巻が聖語蔵に伝わる」『正倉院展』
経名は『仏説漏分布経』です。
これは安世高(*1)が、A.D.148〜171年の間に翻訳したもので内容は、
「仏陀が諸比丘に漏(*2)・痛・思想・愛欲・行・苦についてそれぞれの分類、さらにそれぞれの因・報・滅・道について説いたもの」『大蔵経全解説大辞典』
五月一日経の書写は、写経事業が中断された時期も含め約二十年にも渡り続けられたわけですから手も色々です。本写経生は文句なしに能筆、天平盛期の書です。
虫孔もシミも天平経にあっては景色と思われます。また額装にあたって、左右のまめ糊も見せてマットに落としました。額:43.7 x 55.7 cm
*1
安世高は、安息(イラン)出身の僧で「安世高をもって中国訳経開始の嚆矢とする」『大法輪 仏教人物事典』と言われる訳経僧で、三十五部四十巻を訳出したといいます。
*2
煩悩のこと。『広辞苑』
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