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この青磁は中国のものではありますが、主に評価され愛されてきたのはやはり日本の地でありましょう。人形手と名付けられて、時折大名家の売立目録などにも見ることが出来るものです。
明時代後期の龍泉窯でたくさん焼かれた青磁。その多くは鉢や皿、花生や壺類と多岐にわたりますが、当然この碗類もありますね。人形手と呼ばれたのは見込みや側面に印花と呼ばれる木型のスタンプが捺されているものがあり、特にその文様の一つ、唐子のモチーフなどからそう呼ばれるようになったものです。
多くは朽ち葉色や暗緑色の上がりがほとんどなんですが、これは青磁発色が薄碧色のきれいな膚であるのがうれしいポイントですね。側面には菊花状の陰刻の連続文が配されて初期伊万里の鎬手のお手本になったかのよう。見込みにも陰刻と印花で文様をつけているようですが、スタンプが薄く何の文様かも判然としていません。もっともこんなラフなスタイルが日本人に好まれた所以でしょうがね。
キレイな作りの印籠蓋の桐箱に収められていますが、この箱の下の部分にもともと収められていた箱の蓋と思われるものが入っていました。想像ですが元の箱が虫食いや破損でボロボロになってしまったので蓋だけでもこのような形で残すべくこの措置に至ったのでしょう。
蓋表に「青地 ?茶々碗」とあり、裏には明治26年に発掘されたとあります。中河村郡賀茂村というのは現在の鳥取県
東伯郡三朝町に当たるようで、山麓の畑地から発掘したものを譲り受けたと後の当主が極めています。
古代のお茶わんとありますが、時代は近世に入る桃山時代頃、この地で舶載された茶碗がしかるべき屋敷や城(城山
山麓という地名にもあるように城郭のあったことが想像できる)で使用され、いつしかそれは燃えてしまったか朽ち果ててしまったのでしょう。なかなかにドラマチックな流転の人生が垣間見えます。
疵はありますがきちんと繕われていますしニュウもこの際大目に見てあげましょう。
現代に残ってきてくれた時代の証言者でありながら、今も涼し気な碧色で愉しませてくれる一品です。
口径13.5~13.6 高さ8.1~8.3センチ
明時代後期~末期
桐箱に収められています。お仕覆が添っています。
口縁からニュウが3本、燻銀の繕いが1か所あります。高台畳付きにもニュウがありますが特に碗本体には影響は出ていません。
画像に出てくる折敷は付属しませんのでご了承下さい。
御売約ありがとうございます。 |
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