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愛知県は知多半島、その半島全域に展開した常滑古窯。室町時代以降については庶民のうつわをたくさん焼いていて他の窯を圧倒したので、現代から見ると世の中に沢山あってさして珍しくないもの、ありふれたもの、といった間違った
認識があるようですが、もっと古い中世の初期段階の常滑古窯は全く違うというのをもっと知らしめたいなと思っています。
経塚壺の例を持ち出すまでもなく、平安から鎌倉時代には民衆のうつわではなく宗教用具を焼いた窯。この三筋壺も中に経筒を収めたもので特別な祭祀目的のための、また特別な階層の人たちの結願によって作られているものです。
ちなみに経塚というのは平安時代の末期、釈迦入滅後に仏法が滅びる末法の時代が来るという末法思想が広まりました。再びその乱れた世界を救うのは五十六億七千万年後に弥勒菩薩がこの世に降臨するまで待たなくてはならない、その時までに仏のおしえを護り残すために経典を土中に埋めて保管する経塚造営が貴族などの間で流行するわけです。
窯の中でおそろしく高温になってどえらく自然釉が流れたんでしょうが、藁灰成分が過剰になったため剥落したりカセたりしてしまったんですね、この壺は。
窯の中で素地も暴れて割れてしまったり、壺の中にも釉薬が流れ込んで固まったりと、窯の神さまが好き放題勝手にいたずらしまくった壺、もしかすると窯自体もあまりの高温に崩落してしまったかもしれません。その後に発掘されたものなのでしょう。
さてこれを現代の空間に活かすのはやはり花をなげいれて使いたいところでしょう。このカセ膚がみずみずしい野花を力強く受け止めてくれるでしょうね。自然釉が流れているのもいいんですが、この膚もまた別の魅力にあふれたものと思います。
以前の所蔵者が箱を誂えていて墨書きで、「久米出土」とあります。現在も残る愛知県常滑市の町のようで出土地がわかるのもうれしいところです。
所蔵者印も捺されているのですが、この方の詳細は不勉強でわかりませんが、想像するに常滑市辺り、もしくは名古屋や半田などの地元コレクターさんではないでしょうか。もしご存知の方がおられたらご教授願いたいと思います。
それはともかく中世古窯の佳品としてつよくおススメしたい一品、お好きな方の座辺で末永く愛されてほしいと思います。
高さ23.6 胴径19.2センチ
平安時代末期~鎌倉時代前期頃
以前の所蔵者が誂えた桐箱に収められています。
口縁部に欠損が見られますが、その他は窯割れのみなのでコンディションは非常に良好と云えます。
画像に出てくる敷板は付属しませんのでご了承下さい。 |
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220,000円
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