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庫田叕(テツ)本名、倉田哲介。
明治40 (1907)年 - 平成6 (1994)年、福岡県宗像郡に生まれる。
大正13年(1924)川端画学校に入学し、人体デッサンを学ぶ。
昭和4年(1929)、第16回二科展に初入選。
同10年に開催した個展が高村光太郎、今泉篤夫らに評価され、美術コレクター福島繁太郎の援助を受けるきっかけとなった。
同12年、高村光太郎の助言により国画会同人となり、翌年佐分賞を受賞。
同14、15年と新文展で特選を受賞し、同17年無鑑査となる。
戦後しばらくの間健康を害し、制作を中断。
同31年以降は世界各地に取材した情感溢れる作品を多く描いた。
同35年(1960) 53歳
渡欧。ローマを拠点に、カイロ・ギリシャ・シチリア島・北イタリア・スイスを巡る。
同37年(1962) 55歳
ローマ近郊、およびギリシャ、シチリアでの取材を基に制作。7月に帰国。
同38年(1963) 56歳
滞伊作品展を日本橋高島屋、名古屋フォルム画廊にて開催。
同39年(1964) 57歳
⭐️第38回 国画会展に「私のコロッセオ」(これが本作かどうかは不明)を出品する。
同40年(1965) 58歳
近作と滞伊作品を福岡フォルム画廊にて開催。
同42年(1967) 60歳
山口へ香月泰男を訪ね、津和野・益田・大山・松江と回り、京都を取材。
同43年(1968) 61歳(より49年まで)
日本橋高島屋にて梅原龍三郎を囲む6名の画家による臥龍会展に出品する。
同47年から3年間は東京芸術大学に奉職した。
透明感のある豊かな色彩が特徴的。木、特に松のある風景を得意とし、緻密な構図と明快な色調をもつ豊かな画風を示した。
(一部、福岡県立美術館より拝借)
◆ P 15号(画面65 × 50㎝)。高島屋シール
今日、余程の洋画ファンでない限り『庫田叕』と言ってすぐに分かる方は居ないでしょう。実は私も知りませんでした。が、この絵を見て明るい色調と優れた構図の画面構成に一瞬で引き込まれたのです。そして調べていくにつれ、このローマのコロッセオを描いた絵は彼の代表作の一つと言っても過言ではない出来栄えの作品と確信するに至りました。
イタリアより帰国後、梅原にもその実力を認められ、彼を囲む『臥龍会展』に7年間参加出品。また東京芸大で後進の指導にも当たり公私共に面倒見のいい教授として学生達には人気があった庫田。
その温厚な人柄は、イタリアの明るい陽光を感じさせる本作にも滲み出て、きっとリビングにローマの風を運んでくれるに違いないのです。
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