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古童 弥生土器壺 十王台式  

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縄文土器、弥生土器、どっちも土器~♪、と唄ったアーティストの方もいらっしゃいましたが、中でも土器と云えば一般的によく知られているのは中期の馬高・三十稲葉式土器のイメージでしょうか。こう専門用語で云ってもなんのこっちゃという話しではありますが、世にいう火焔式土器というやつですね。

新潟県の長岡市にある遺跡から名付けられたこの土器は世界的に有名なもので、どなたもがよくご存知のもの、ですから縄文土器のイメージと云えばまずこれが思い浮かぶものでしょう。

さてそれに比較すると弥生土器のイメージは随分と曖昧模糊として一般の方には馴染みがないものかもしれません。

我々にとっても弥生土器は表面がつるりと仕上げられた無文の素っ気ないものと思いがちなものではあります。もちろんその中でも特殊な吉備地方のものや北九州、東海地区の突出した力のあるものはあるわけですが・・。

しかし弥生土器の中でも表面を縄文的に装飾したものはあるのですね。茨城県の北部などでよく出てくるもので、他の地方ではほとんど見られない、一見してこの地方の土器であるというのがよくわかりやすいもの、それがこの十王台式弥生土器であります。

頸部をあまり絞らない筒形のものがほとんどで、ヘラ描きによって波状文や突帯を付けた後に押して綱のように表現する装飾方法です。胴は前代のような縄目もあるようですが、更にその上から格子状にヘラ目を入れています。

かように過剰とも思えるような装飾を施す様式はあまり他の地方では見られません。弥生土器が目指した平明で明るく論理的な思考ゆえの造形、それとはあまりにかけ離れた土俗的、感情を爆発させるような激しい表現、(それでもかなりソフィスティケートされたものではありますが)他の地域とは違った生き方を選択した集団の存在を想像させます。

先に書いた長岡の火焔式とは時代も地域もまったく違いますが、そのような激しい表現を好んだ特異な集団から枝分かれした子孫がこの地域にいたのかも、というのは飛躍しすぎた思考かもしれませんが・・。

いずれにしても弥生時代の後期になってもこのような表現を維持していた人々も、中央集権の怒涛に呑み込まれて次世代には凡庸な土器しか作らないようになっていきます。弥生のなかの特異な最後に咲いた花であったのですね。

こちらは素地の赤みと炭素吸着した荒々しい肌が魅力の一品、往時を偲んで花を手向けては如何でしょう。

高さ21.0センチ 口径13.0~13.3センチ

弥生時代後期

桐箱に収められています。以前の所有者が箱の懸け紙に「弥生壺 十王台式 茨城県出土」と墨書きしています。

胴の部分に穴があって共色直しになっています。また口縁の部分は4つのピースに割れたものを繋いでいます。欠損した部分はパテで造形しているようです。また高台の一部が欠けて据わりが悪くなっていたようで、安定させるためか共色で造形しています。これは内側には通っていないようです。

参考画像  世界陶磁全集 1 日本原始  小学館刊より

御売約ありがとうございます。
 


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