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中国北宋時代ー金時代(960ー1234)に中国河北省で焼成された定窯白磁の皿です。径は12cmという代表的なサイズで、文様も定番の刻花で草花文様があしらわれています。私は駆け出しの頃よりずっと定窯が欲しくてたまりませんでした。
定窯にも官窯と民窯があります。大まかに3ランク松竹梅ありまして、極上ランクの松は官窯手です。数千万、数億円する作品はまずハッとするほどの明るいクリームホワイトで希少な作例で、大型で装飾が豪華で無傷完品が条件となります。次の竹は本作品のようなものです。民窯手だけど、品質が良い作品です。梅は装飾なく、数モノで、焼成、色合いが悪い定窯の雑器です。
本作は竹ランクで、民窯手の上級作品になります。100点満点で正直に申し上げますと、色80点、型、サイズの希少性70点、品質85点、状態70点です。総合評価は75点くらいの定窯というのが本音です。素文ではなく、草花文があるのと底のシャープなキレが非常に良いポイントです。もし仮に本作タイプで全部100点だと300万円くらいになります。
1ヵ所わずかな削げがあるので、このようなリーズナブルな価格になっています。やはり鑑賞陶磁器は傷を極端に嫌いますので、わずかでも傷があると途端に半額以下になります。しかし、考えようによっては僅かな傷であれば半額で買えますので、お買い得とも言えます。
ここからは補足ですが、定窯の名は生産地である河北省定県から来たものです。定窯は大陸全土に名を馳せる程にその美しさで有名で、当時より大変な人気がありました。始まりは唐時代末期からで、瞬く間にその名を広く知られるようになりました。
生産方式は独特で、石炭を燃料として小型の饅頭窯(穴窯)で焼成されました。定県周辺は薪よりも石炭が豊富にとれたからです。しかし、石炭の炎は短いので龍窯(登窯)には使用できず、そのため、定窯は小型の穴窯で少量生産されました。色が僅かに黄色みを帯びているのは石炭の影響です。
定窯は宋時代の五大名窯(汝、官、カ、鈞、定)の一つで、宋時代に最盛期を迎え、元時代に衰退します。本来は民窯ですが、その品質と人気の高さから、極上品は宮中でも用いられるようになりました。第二次世界大戦中の1941年4月10日に日本を代表する古陶磁学者の小山冨士夫先生によって、河北省定県にて発見されました。詳しくは小山先生の「北京滞在日誌」に記述されていますが、銃弾をかいくぐり発見した瞬間「感動に胸が震えた」とあります。
定窯は非常に精巧な贋物が多いです。我々プロでも細心の注意を払うべき作品の一つです。一般のコレクターで間違いの無い定窯をそれ故に、真作の定窯を所有する一般コレクターはほとんどおりません。松クラス、数千万、数億円の官窯定窯は私もあきらめていますが、竹クラス世界基準で75点の上質で間違いの無い定窯がこの価格で手に入るのは今回がラストチャンスです。
本作は河北省の遺跡から出土した作品で、現地のコレクターの方が長年に渡り保有していた作品で、無理を言って格安で分けて頂きました。これは間違いない見やすい本物の定窯です。夢幻の定窯、正直、利益はありません。この最後の機会に是非御買い求め下さい。
画像3枚目は全く同じタイプの作品の参考図版で、2007年に愛知中国古陶磁資料館で開催された「白いやきものを楽しむ」展、P57図版83、84です。これと同じ時代、作例の作品とお考え下さい。
産地:中国河北省定県
時代:北宋ー金時代
寸法:径約12cm、高さ2cm
状態:口縁にわずかな削げ1ヵ所のみ
御売約ありがとうございます |
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