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今でこそ裏日本とか云ったりするかもしれませんが、もともと日本海側の地域は古代以来、大陸や半島の国々からやってくる技術や文化の玄関口でありました。ですからその呼称もまったく的外れであるわけですね。
公式な外交ルートによる交易だけでなく、沿岸各地に単独でやってくるマレビトたちは様々な情報をもたらしてきてくれたことと思います。いつしかそれらの人々と在地の人々は相い交わり同じ村でくらしを共にしてきたこともあったでしょう。
この越前古窯は直接半島の技術で、というわけではありませんが渡来人の技術である須恵器生産に端を発し、酸化焼成に転換して大いに発展をした窯ですね。今では六古窯という言葉で収まらないほど各地にいろんな中世古窯が存在したことが知られていますが、かつてはその名のように中世という時代を彩った窯としてその名を馳せました。
やや明るめの赤褐色の素地に僅かながら自然釉がきれいに降って景色となっています。肩の部分に十字様の窯印が二つ、そして経塚壺として使用されたことが窺える三本の線刻が見られます。いわゆる三筋壺と呼ばれる常滑などではポピュラーな製品ですが、他の古窯ではなかなか少ないものと思います。
口縁部の欠損は惜しまれますが、宗教的祭祀具としての格調は失ってはいません。
花生としてもちろんいいものですが、中世という時代のタイムカプセルが掘り出されてこのように
存在する、すなわちこれを座辺に置くことで往時の人々との交感が可能になるのではないでしょうか。
幾星霜をくぐり抜けてきたものが美術館のガラス越しではなく、手許で愉しめるという良い機会を
ぜひ体験してみてください。
高さ22.9センチ 胴径20.9センチ
鎌倉時代初期頃
桐箱に収められています。
画像でご覧頂ける様に口縁部の欠損があります。
御売約ありがとうございます。
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