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難波(なにわ)焼(*)。余り知られておりませんが、その「茶のある」姿形のみならず巧者による轆轤には京焼の仁清の影響を多分に感じさせます。窯は短命に終わり、また先の大戦で大阪は焼け野原となりましたので残存作品は極めて希少といえます。
高台にノミホツが一箇所ありますが、良好な状態を保っております。元は小向付と思われますが縞柿の蓋が付属しており替茶器としても御使用いただける点、斬新な形にもかかわらずストレスなく呑めるところが嬉しいポイントでしょうか。輪線も涼しげでいいですね。
* 難波焼 初め大阪高津(天王寺区)にあって高津焼と呼ばれ、のち難波・今宮などに移ったもの。延宝年間(1673〜81年)に始まり茶碗、水指、建水、花生、卓香炉、土釜の他、赤楽茶碗出し、黒谷山の土を用いた。作風は高原焼同様、高麗風で仁清の作風に似る。「難波」の印がある。(『原色陶器大辞典』加藤唐九郎編/淡交社刊より抜粋)
幅 58mm
高 60mm
付属品:桐箱(藪内流 猗々斎竹風紹智 箱書)、縞柿蓋
江戸後期(18世紀)
◎御約定:早々ありがとうございます。 |
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