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常滑の古窯は窯跡が沢山あり、またそこで作られた膨大な数の製品が残ってきているのであまり重きを置かれない傾向がありますが、逆に云えばそれだけ優秀な製品を作り続けてきて他の窯の製品を圧倒してきた結果であると思います。
膨大な数を作ってきたということはそれだけ売れたということで、室町時代以降、貨幣経済が発達し庶民が力を付けてそれらを購ったということで、これだけの数量があちこちで見られるわけですね。
しかし鎌倉時代前期頃までのこの古窯は荘園領主や地頭などの有力武士の要望で、宗教的な用途の製品を作る(もちろんそれだけではありませんが・・)ことが多かったようです。特別な発注によって作られたそれらはまたうつわとして別の意味を持っていたと思います。
すなわち陰陽道などに見られる拝火思想、炎が不浄なものを焼き尽くし魔を祓うということ。穴窯の中の温度をどんどん上げて焼きぬいて聖なるものに昇華していこうとする意志が見られるのが特徴的でしょうか。温度に耐えられなくなったうつわは、倒れるようにへたり、歪み、まったく製品としては使えないものになってしまいますが、そんなことにはお構いなしに隣にまた新しい窯を設けて同じように焼成することを繰り返していたようです。
さてこちらの壺も経塚壺として発掘されたものと思われます。底には水抜き用の穴が開けられていますね。N字形の口縁の折り返しが前時代と違って豪胆な武士の時代らしい力強い造形で、肩の張りも峻厳でフォルムがとにかくきれいな壺というストレートな印象があります。
肩に淡く灰が降っただけで自然釉のようなものはほとんどありませんが、静かで瞑想するような中世の壺です。
おとなしいですが大きさがあってご自宅でご覧頂くと意外と迫力があるかと思います。
梅の古木など強く大きいものでも受け止められる度量がいいところですね。
高さ41.0センチ 胴径39.0センチ
鎌倉時代前期頃
箱はありません。
画像でご覧頂ける様に口縁に削げや欠けがあります。また底は水抜き穴を埋めていてその部分からごく短いニュウがあります。
御売約ありがとうございます。
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