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瀬戸の窯は古代の須恵器生産を母体に、先端の中国陶磁をお手本として様々な施釉陶器を産み出してきました。その起源や展開には若干異説もありましょうが、猿投西南古窯群が南に展開して常滑に、北方周縁部に展開していった瀬戸の古窯群ということになりましょうか。
しかし瀬戸では鎌倉時代に舶載された越州窯などを手本とした、瓶子や四耳壺と呼ばれる器を数多く生産していったことが特徴的でありますね。またそこには灰釉や鉄釉を駆使した釉薬、印花や釘彫り、貼付けなど龍泉窯などの製品の影響も見ることが出来ます。つまり古代から陶磁生産と云うものに於いて常に時代の最先端を走るハイテクセンターであったわけです。
先ほどの瓶子をごくごく小さく凝縮したこの小壺、分骨器などに使用したようですが、こんな小さなものにも神経を使って丁寧に仕上げています。灰白色の素地が多く見えているのはよほどこの窯の中が高温で自然釉が被ったのでしょう。もともとこの時代はまだ灰単味、窯中で施釉が安定せずに剥けやすく、また自然釉も厚く被るところほど剥落しやすいものなのでこのようになっているわけです。いまここに窯の激しさを見てとれるのは胴部に付着した釉流れのくっつきでしょうか。碗や皿などに溶着して発掘されたものかもしれません。
しかしその美しいフォルムは健在ですし、わずかに残っている釉の煌めきはなかなかの表情を窺うことが出来ますね。
釉剥けはあるものの、素地自体には疵がなく発掘ものとしてはとてもいいコンディション、座辺の一輪挿しとして、また身近に置いてその武士の時代に想いを馳せるうつわとして、永く愛でて頂きたいと思います。
高さ7.2センチ 胴径5.6センチ
鎌倉時代
胴にひっつき痕のようなものも見られますが疵の範疇には入らないと思います。無疵と申し上げていいでしょう。
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