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明時代の末期、それは彼の地では政治は乱れ、国内は疲弊して今しも陽が沈むような時代でありました。そんな影響を陶磁生産の現場でも必然的に被り、宣徳や成化の時代には宝玉のような製品を作っていたものが、堕落して観るべきもののない暗黒時代になった、と陶磁史研究の立場からはそんな風に云われていたわけですね。
しかし上から縛り付けるタガのようなものが無くなって、いい面もあったかと思います。すなわち日本からの注文品である景徳鎮の古染付、南方の漳州窯で焼かれた積出港の名を取って欧米ではスワトウウェアと呼ばれるこの呉須手など、自由奔放にのびのびと焼かれた民藝的な陶磁が産まれたわけですからね。
宋時代の神品と呼ばれるようなものはそれはそれで素晴らしいもの、しかし日本で、とりわけ茶の世界で喜ばれたのは屈託のないこれらのやきものでした。
この呉須赤絵、満身創痍と云う感じでニュウがたくさん入っているのですが、それでも舶来渡りの貴重なお道具ということで、大切に残したい気持ちから鎹で修理を施しています。やや甘手に上がったのもあり全体に貫入も入ったり、降りものがある部分に緑釉を被せてリカバリーしたりと苦心の痕が窺えます。
もちろん唐渡りという貴重さも大切だったでしょうが、それ以上にここに描かれた動物たちの生き生きとした躍動感に魅かれたのもあったでしょう。自由に空を飛ぶ鳥たち、枝にとまって語らうつがい、魚や兎たちも線描きした上から緑釉を置いて描かれています。その間に赤い釉で描かれた大輪の花、赤と緑の鮮やかな対比は見ていて気持ちがいいですね。
見込みには大きく福の字が入っていておめでたいハレの日のうつわで喜ばれたのでしょう。こんな食器を使った豪放な宴会では、それこそ江戸の特権階級の人々の眼も愉しませたことと思います。
青山二郎さんの本を読めば、「まずシナに学ばなければならない」と云っているように、そこには鮮やかな呉須赤絵が掲載されていました。菓子鉢には結構な大きさではありますが、鑑賞と思えばまたこの大きさも嬉しいところ、疵であっても見捨てがたい一品じゃないでしょうか。
口径25.2~25.5センチ 高さ11.8~12.4センチ
明時代末期
箱はありません。
口縁から入ったニュウを鎹で補修、また高台内の窯割れを埋めていますが、これは見込みには響いていません。それ以外に1か所だけ約1センチの共色直しが口縁にありました。
御売約ありがとうございます。 |
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