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ピンキリいろいろあるでしょうが、でもとにかくむかしのお家は立派な作りなんですよね~。だってこんな大きなものが梁にぶら下がっているんですからね。生半可な太さの梁では折れてしまいますから。きっとそれら屋根や太い梁を支える柱も立派だったでしょう。
戦後の住宅難を解消するために成長の早い杉ばかり植林した時代と違って、むかしは豊富な材木資源に恵まれていたのでしょう。この自在鉤も実に大きく堂々としています。
蛇足ながら、自在鉤とは囲炉裏の上で鍋や釜をつりさげて煮炊きするときに、火力の調節は熱源からの距離で図っていました。ですから長さを調節できるフックをいろいろと工夫したわけで、そのフックを梁から吊るすときの鉤なのです。
これはやはり底辺の庶民のものではなく、かなり大きく立派なお屋敷に下げられていたでしょう。商家か農家かはわかりませんが、それほど極端に煤の付着が見られないところから、中部や関西あたりの町屋かなと想像しています。
家屋の作りによって煤の廻り方が違うんでしょうね、農家の藁屋根などはわざと煙が天井付近に行くようにして屋根の防虫効果を狙っていますし、京都の町屋の作りなどは煙の出る厨房は建物とは全く別スペースになっていて、そこから出るものは意外と煤が厚くないのが特徴的と思います。
材は欅でかなりの重量があり、大きさも相まって存在感が凄い!定番のお品ながらやっぱりいい味のものはいいですね。
現代陶芸の物故作家で八木一夫という人がいました。お父さんの八木一艸は京焼の轆轤の名手、その長男の一夫さんも最初は伝統的な技法を学んだと思いますが、後には走泥社を結成して前衛的な
彫刻のような作品を産み出します。いわゆるオブジェ焼というやつ、唐突に陶芸作家のことを書いて何のこっちゃと思われるでしょうが、彼の作った力強い黒陶作品のようなフォルムがこの自在鉤に内包されていると思ったからです。
要するにこれを作った名もない工人にその意識は皆目なかったわけですが、出来上がったこれらには作家が苦悩し修練を重ねた末に産み出したものがやすやすと現れていたという不可思議さ、この自在鉤には八木さんのような人はまた別として、生半可な現代美術などは凌駕する力があるということなのです。
高さ43.8センチ 巾16.5センチ
江戸~明治時代頃
無垢の木なので当然干割れがいくつか見られるのですが、これらはダメージの内に入らないと思います。虫食いなどもありません。
撮影のためにパットを咬ませて立たせています。自立はしません。
御売約ありがとうございます。
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