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日本で初めての本格的磁器の焼成は、有田泉山の地で朝鮮人陶工、李参平(日本名 金ケ江三兵衛)が1616年に磁土を発見したのが始まりであったわけですね。(現在、これには異論もあり、もっと早い時期から焼成は始まった説もあるようです。また李参平の名前は明治時代の学者によって便宜上名付けられたものであり、実際の姓名は不明のようです。)
中国や朝鮮、その他の国からの陶工の技術が踏襲され、生掛け焼成のみずみずしい磁器が数知れず作られました。しかし日本の土質はその収縮率に耐えられず、とても歩留まりの悪いものであったようで、窯跡からの発掘にはおびただしい数の不良品、歪んだりヘタったり降りものが付着したものが発見されています。
こちらの徳利もそんな中のひとつだったかも。おそらく口縁の繕い部分には付着物があったか、もしくは窯疵のまま焼成したかという想像をしています。口縁から肩にかけては不純物のせいか、灰色に上がってしまった窯変もありました。
でもとてもこれをそのまま見捨てておくことは出来ませんでした。軽やかに描かれた蔓、花の名前も特定できないような花弁(強いて云えば桜草のようなものか)、そしてその花弁の上に無造作に置かれた呉須、こんなに儚げで優しく、それでいて伸びやかな筆運びで描かれた蔓は強靭さも感じられて、相反する魅力を併せ持った絵付けにしっかりとやられてしまいました。
素地も白い部分は生掛け特有のトロっとした色味で。涼やかな青みも差してしますね。高台はアーチ状の丸みを帯びて、そこに目砂が付着しています。
秦 秀雄さんがご存命ならば、あるいは柳さんがご覧になったらどんな感想をおっしゃるのか伺ってみたいなと思わせる一品ですね。
立派なもの、観る人を圧倒するもの、華やかなもの、そんなキーワードとはまったく無縁の路傍の花、でもそんな花にも時には目を留めてみて頂きたいなと思います。
高さ10.7センチ 胴径8.4センチ
容量は1合1勺 小さめの盃と組み合わせる感じです。
江戸時代初期頃
桐箱に収められています。
口縁に燻銀の繕いがあります。
御売約ありがとうございます。
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