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かいだ古美術 隼人石 拓本  

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聖武天皇皇太子那富山墓の周囲四石ある内、北西にある隼人石拓本です。
宮内庁では平成9年から10年度中に聖武天皇皇太子那富山墓内「隼人石」など、石造物の風化状況やその原因、基本的な保存処理、細部の具体的保存処理、など済ませたとあります。本墓の報告次第は宮内庁書陵部「書陵部起要第51号」に詳しく記載されておりますのでそのごく一部を抜粋いたします。
奈良市法蓮町1593番地の1の独立丘陵の頂上にある第45代聖武天皇皇太子の那富山墓の周囲に並んでいる「隼人石」は墳簏の北西(A)、北東(B)、南西(C)、南東(D)に1基ずつ置かれ平に近い面に獣頭人身像が線刻されており、材質は両煇石安山岩で、俗に三笠山安山岩・カナンボ石とも呼ばれており、奈良市内の若草山及び飯盛山の一部で産出する。岩石自体は強固なものであるが、風化すると表面が灰白色を呈し、更に風化が進むと粘土化し、流失する性格があり、実際に「隼人石」でもその傾向が見られたとあります。
北西の本石は高さ最大125cm、幅最大45cm、奥行最大32cmの方柱状のもので線刻はもっとも残りが良くて、両手を胸前で組むのは他の像と共通しているが、杖状の持物をもつ立像である。四像いずれの顔も左の横顔を刻むが、横に寝た耳とやや丸い鼻先はネズミに似るもので像の上には行書体の「北」が刻まれる。
「隼人石」に関する文献上の初見は、林宗甫が延宝9年(天和元年・1681)に記した「和州旧跡幽考(大和名所記)」で、また、文久元年(1861)に伴信友が著した「比古婆衣」に述べられます。ちなみに、明治32年(1899)前後に奈良市の東大寺大仏殿で開催された博覧会で、「隼人石」が出陳されたことが知られています、とあります。

参考画像は、宮内庁書陵部「書陵部紀要第51号」に掲載されている当時の原石と技官によって採拓された写真です。
掛け軸:高さ 180cm 幅 60.8cm
本紙:高さ 114cm 幅 48.5cm 
状態は表具、本紙とも良好です、箱なし
時代の目立たない小さなシミはありますが黄ばみもなく美しいです。
 


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