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最近よく思うのだけれど、本当に”もの”そのものを見ているのか、いや観ているの方か、どことなく情報で知識で、もっと云えばルーティンでものを判断し切り捨てているのではないか?という疑問です。
ともすれば珍しいもの、いいと一般的に思われているものをありがたがる傾向が自分も含めて大いにあるように思います。もちろん昔から皆がいいと称賛してきたものは多くの目のフィルターを通して残ってきたものですから、いいものはいいわけですが、それを本当にしっかりと見据えて本質を掴み取った上で判断しているか、常に心に問いかけなければいけない問題のように思います。
なんて大上段に構えた言説も言葉遊びになってしまっては意味がない、要するに素直にものを見直そうということなんですが、そんなことを考えたのは定番中の定番、いたって普通のこの横木を手にしたからです。
火伏の意味を込めて水に関係する魚が自在鉤の横木になるのはよく見ますね。でもこの魚の質感の美しさと云ったら!。煤がたっぷりと被った腹側は黒々として、そしてその背中の赤黒いてろてろの木味、もう魚の形を創り出した彫刻とでも云った方がいいんじゃないか、なんて思いました。
小林秀雄は、「ものを観る」というのは誰でも当たり前にしていることのように思われて、実はとことん観るというのはとても難しいことなのだと書いていましたが、この手垢の付いた骨董という世界にも同じことが云えそうです。
ものを観る、その大きな意味をもっと掘り下げて考えさせられる一品が手許にきたのはよい出会いのように思いました。これをご覧になって下さる方にもそんな出会いのきっかけになって頂ければ嬉しく思います。
長さ29.5センチ 最大巾5.9センチ
江戸~明治時代頃
御売約ありがとうございます。
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