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古代から中世に掛けて東北地方は大和や京の都からすればまさに異国でした。平安後期に奥州藤原氏が中尊寺を始め都風の雅やかな建造物を造った頃には実に素晴らしい文化の台頭があったと思いますが、古代にはまだ異民族の暮らす土地であったろうと思います。(実は独自の骨太の文化が発展していたらしいことが最近の研究でわかっているようですが・・)
天平から平安に掛けて造営された古代都市多賀城、そこには立派な寺院や政庁が造られていたことが発掘調査でわかっています。九州の大宰府が大陸や南九州からの侵攻に備えた前線基地的なものであったことを考えれば、ここもそう云った性格を持った都市であったかもしれません。
さて、江戸時代頃からと思いますが、この地でたくさんの瓦が出土することは知られていて、
考古探求の一部の数寄者が出土物を収集していたようです。また文人がいにしえの時代に想いを馳せてその瓦類を硯に仕立てて座辺に置くことも流行していたようです。
こちらは出土した平瓦を硯に仕立て杉箱に収めて大切にしていたようです、箱は明治~大正頃の物のようですが、その頃は文人として漢文や古典の素養が必須であったでしょうから、この硯でいろんな詩歌を著していたかもしれませんね。黒々とかっちり焼けた質感も多賀城らしさを感じさせてくれます。
箱には墨書きで所蔵者の落款、印章が押されていますが不勉強でこの方の詳細はわかりません。ご存知の方にはご教授頂ければと思っています。
文字を書くとは現代のわたしたちが考えるよりはるかに重要であった古代のこと、そんな時代の想像しながら座辺でお愉しみ頂ければと思います。
長さ23.0センチ 最大巾15.0センチ
天平~平安時代頃
以前の所蔵者の墨書きのある杉箱に収められています。
欠損の状態は画像をご覧ください。 |
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