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いきなりですが本地垂迹の思想をご存知でしょうか。もともと日本は自然の事象そのものを神とみなすアミニズム的信仰の国でありました。
そこへ仏教という外国からやってきた新しい宗教が時の権力者の心を捉えて台頭するようになります。
当然そこに軋轢が生まれるわけですが(実際に崇神派と崇仏派の内乱になってしまったようです。)、それでもなんとか仏の教えを広めたい崇仏派の取った方法が本地垂迹説というものでした。
つまり神は、仏がその崇高な教えを衆生に浸透させるためにより近い存在である姿に形を変えて現れたもの、それぞれの神に本地仏が存在するというものでした。はたしてこの方法は上手く取り入れられて神仏混淆の長い歴史が明治になるまで延々と続いたわけです。
もともと神は山であったり磐であったり湖であったりした目には見えない存在でしたが、この思想が取り入れられてから徐々に仏像彫刻の影響を受けて像が刻まれるようになります。神像彫刻の誕生ですね。
当初は国の政策としての仏の教えの広まりでしたが、貴族階級から武士の台頭、庶民信仰の広まりで例外はもちろんありますが神像は徐々に小さな造作の簡易なものになっていきます。
また仏像が内刳りを施していくのに対し神像は霊木を選んで刻むという性格から丸のまま一木作りが延々と近世まで続いたようです。
こちらも一木で仕上げられた衣冠束帯姿の座像です。冠や杓は別材で作って嵌めるものでしたが今は失われています。
いわゆる白サビの状態で香を焚くような場所ではなく小さな社の清浄な場所に祀られていたのでしょう。永いこと信仰の場で大切に護られていたのでしょうが、虫害には避けられなかったようで少し荒れていますがこれは致し方ないところでしょう。
平安時代の神像は恐いお顔をされているのですが、こちらは穏やかでやさしいお姿、民衆により近い存在ですね。
またこの像はお顔がやや前方斜め左を向いているのがおわかりいただけるでしょうか。ほんとうに僅かな捻りなので意図的ではないのかもしれませんが、正面を向いているものばかりじゃないのは時折散見される例のようです。
製作された時代は室町時代頃と想像しています。顔の中心や膝頭に木目の渦の中心がくるような木取りは古格があり時代がさかのぼるものと思います。
立派な仏像や神像は美術としてとても貴重で高貴なものではありますが、座辺で愉しむのにはこのやさしいご尊顔に見つめられるのもいいものじゃないでしょうか。
ふっくらしたお姿に癒されていただきたいと思います。
高さ24.7 横巾14.1センチ
室町時代頃
虫食いで荒れた部分があります。この状態で長い時間が経過しており、粉が出るような危うい状態ではありません。
箱はありません。
地方でも盛んに造像活動が行われていた例として神奈川と滋賀の二か所の神像の例を挙げています。もちろん同手ではありませんが、室町時代の特徴やお顔を捻っている例として掲載しております。
出典 参考画像一枚目 神奈川県立歴史博物館編集 神社本庁発行 「神々と出逢う 神奈川の神道美術」展図録
参考画像二、三枚目 大津市歴史博物館編集発行 「湖西の神仏」展図録より
画像に出てくる敷板は付属しませんのでご了承ください。 |
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120,000円
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