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中上 ///NAKAGAMI 伊勢芦屋 霰釜  

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優れた材料と高い技能力で芸術性の高い釜を産んだ筑前芦屋(*1)の職人集団が西日本を中心に渡り歩き、室町時代末期には伊勢国で芦屋系の職人による茶の湯釜が製作されました。これらを総称して「伊勢芦屋釜」と呼びます。本作は伊勢芦屋らしい、なめらかな黒茶色を呈した膚にびっしりと型押しされた大小の霰が職人の高い技術力を示しており、慶長好みというべき比較的大ぶりなサイズでありながら、肩を一段絞ることにより柔らかさや明るさを与えてくれているように思います。鐶付は伊勢芦屋の諸作に散見される松の実。

古い茶の湯釜はみな底部が熱で傷んでおりますが、本作は底部のみ熟練の職人により造り直されておりますので、水漏れなく現役でお使いいただけます。ご自身も茶の湯釜を造る職人であり、なおかつ古釜鑑定の第一人者である長野烈氏(*2)による極書がつく伊勢芦屋製霰釜の優品です。


(*1)
「(前略)芦屋とは、筑前国芦屋津(現・福岡県遠賀郡芦屋町)のことで、すでに奈良時代からその地名は鉄の鋳造地として知られている。遺品は鎌倉時代後期から散見され、その多くが仏教関係諸品である。芦屋がいつごろから釜をつくりはじめたかは不明だが、平釜では応永三十一年(1424)製があり、また明応三年(1494)の釜が確認される。
芦屋釜の多くは真形に文様か霰があり、鐶付は鬼面か獅子咬(尼面)である。鋳造技術、製作技術ともに最高位にある。文様は大和絵を中心とするもので、松竹梅、鳥、馬、山水など比較的温和で伝統的な絵柄が多い。また霰が全体の半数以上を占めていて、さらに絵と霰を組み合わせた作例を加えると、芦屋釜の大半は霰表現が主流といえる。
芦屋工人を含む中世鋳物師は各地を渡り歩いたといわれる。そのためか西日本を中心に七か所の芦屋系釜作地が比定されている。およそ室町時代晩期から桃山時代を頂点として活躍し、江戸時代前期には大半が表舞台から姿を消す。また芦屋そのものも寛永年間(1624-44)には終わっている(後略)」茶道具の世界 8 <釜・炭道具> 長野裕著(淡交社刊)より一部抜粋

(*2)
1945年岐阜県生まれ。1970年に長野垤志に師事、古釜の調査研究に入る。1972年に茶の湯釜の製作を始め、日本伝統工芸展に初出品。1978年日本金工展において文化長官賞受賞。以降、個展を数多く開催。2010年「現代工芸への視点-茶事をめぐって-」を東京国立近代美術館工芸館にて開催。現在、日本工芸会正会員。


幅 267mm(口径 110mm)
高 180mm
付属品:桐箱、風呂敷

桃山慶長期(17世紀)


<詳細は以下のURLよりご高覧ください>
https://nara-nakagami.com/ja/items/173/
 


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