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半蔵門ギャラリー 法然上人往生図  

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法然上人臨終の場面を版彩色で表現する法然上人往生図です。濃茶の背景に時代の胡粉の白が映える、美しい一幅です。

この場面について、
「法然の臨終を伝え聞いた僧俗の群衆が、住房に集まって来た・・互いに、沈痛な面持ちを秘めて、声を発するものはいない・・今こそ臨終と悟った法然は、弟子に命じて慈覚大師の九条袈裟を羽織らせ・・枕を北に改め、顔を西方に向けて横臥し・・合掌念仏のうちに80年の生涯を閉じた・・一瞬、群衆の人垣から、すすり泣きの合唱が起こった。」(『日本の絵巻』*1)とありますように、上人の臨終に、とまどい、悲しむ人々の姿が生き生きと描かれています。

「法然の伝記を絵画化したものは、『伝法絵』、『拾遺古徳伝絵詞』のほか、鎌倉時代の頃からいくつもの絵巻の制作が企てられた」(*1)ようです。右の参考画像をご覧ください。
1枚目(*1)『法然上人絵伝』48巻 鎌倉時代
2枚目(*2) 同上 見やすく、上下にまとめられたもの
3枚目(*3)『法然上人伝法絵流通』4巻 室町時代
4枚目(*3)『法然上人伝絵』9巻 江戸時代
該往生図は、1、2枚目の鎌倉時代のものをもとに作られたようです。

法然房源空(ほうねんぼうげんくう・1133-1212)について
「浄土宗の開祖、鎌倉期の仏教改革運動の先駆となった。美作(みまさか/岡山県)の押領使・漆間時国の子に生まれ、幼名を勢至丸という。9歳で父が夜討ちに遭うが、遺言で仇討ちを断念し13歳で比叡山に登る。比叡山で諸学を研修し、43歳のとき唐の善導の導きで専修念仏、本願他力の救済を自覚した。称名念仏(「南無阿弥陀仏」の名号を称えること)の行によって極楽浄土に生まれることができると説いた。あらゆる階層の人々に念仏の教えを説き信徒が激増・・叡山・南都の専修念仏批判が朝廷に達し、四国へ流罪となるも、許されて帰京・・墓所は知恩院境内に「御廟」として祀られている」(*4)

時代について
本紙中央一番上に「円光東漸大師入滅図」(画像左参照)と読めます。
東漸大師とは「宝永8年(1711)法然500回遠忌に中御門天皇より加諡された大師号」(*5)です。それ以前の大師号円光(*6)に、東漸が加諡された法然500回忌、1711年に制作されたのものではないでしょうか。江戸初の頃の人物表現とも合うと思われます。

状態について
経年による剥離、補修(中央画像左上)など若干ございますが、画像でご覧いただけますように綺麗です。


表具は、色彩豊かな本紙の背景となるよう控えめにし、アクセントに、本紙と同じ濃茶地の古い金襴の筋を上下に入れ、本紙の中の朱色に合わせ、古い朱の軸端を使用しました。
太巻 本紙:30 x 53cm 軸:93 x 57cm

法然とは房号で、お名前は、二人の師からそれぞれ一文字ずつもらった源空であることや、大師号が50年ごとに加諡されるなど初めて知ることばかりでした。阿弥陀三尊がお迎えに来て浄土に導いてくださる、称名念仏により往生できる、と信じることができた人々。何もかも便利になった現代に生きる私達。どちらが幸せなのか・・考えさせられました。



*1『続 日本の絵巻3 法然上人絵伝下』編者 小松茂美
*2『法然上人の言葉・法然上人絵伝より』伊藤唯眞 淡交社
*3『日本の美術 法然上人絵伝』
*4『大法輪・仏教人物事典』と『法然上人の言葉・法然上人絵伝より』より抜粋引用
*5『WEB版新纂浄土宗大辞典』
*6 大師号について、
「偉大なる師の意味で・・日本では天皇から与えられる諡号となった・・浄土宗では、元禄10年(1697)法然に円光大師が送られたのが最初で・・以後、東漸(500回忌)、その後も50年ごとに、慧成(550回忌)、弘覚(600回忌)、慈教(650回忌)、明照(700回忌)、和順(750回忌)、法爾(800回忌)」『WEB版新纂浄土宗大辞典』
「平成23年(2011)春、天皇陛下より新たに、「法爾大師」の徽号が加諡され・・元祖法然上人八百年大遠忌法要奉修されました。」(知恩院ホームページより)

どうもありがとうございました
 


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