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半蔵門ギャラリー 金銅八角宝相華文軸首  

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藤原時代の経巻の軸木の両端を飾った金銅八角宝相華文軸首です。

奈良時代には、経巻の軸首は木造撥型が多く、平安時代に入ると、それまでの木造撥型に加えて、装飾経、特に紺紙金字一切経などに使用される為、おびただしい数の金銅軸首が製作されたようです。それらの金銅軸首の殆どは従来の撥型ですが、本軸首はたいへん珍しい八角形をしています。

この八角軸首の八角柱は、基部から端面にかけてゆるやかに広がり、端面も水平ではなく、周縁から中央にかけて柔らかなふくらみがあります。そして基部と端面それぞれから、鍍金された花弁が二つづつ、互い違いになるように配置され、その花弁にはしっかりとした蹴彫りが細かく施されています。八角柱側面の煌く花弁の周囲は細かい魚々子がうめつくし、端面はその逆に、中央に魚々子を施した四弁花を配し、周囲に鍍金を施しています。魚々子地の黒ずんだ様子からは、鍍銀されていたと考えられます。基部から見ると(中央・一番下)八角柱の側壁が思いのほか厚みがあり造りが堅牢で、時代が上ることを示しています。

参考画像(右・中央)は「仏教美術の脇役たち」(*)という松田光氏の連載からお借りしました。この一枚の写真からは端面の様子が分かりませんが、それでも本経軸と、同じ時期に、同じ工人達によって製作された可能性がある一具のものかと思われます。以下は解説です。

「金銅八角宝相華文軸首は金峯山出土で、華麗な蹴彫りと魚々子が際立つ11世紀に遡るものであり、12世紀の軸首と比較すると全く異なるのは明らかである。白河上皇が寛治六年(1092)七月十三日金峯山に埋納した金銅一部鍍金花鳥唐草文経箱(国宝)に関連するものと私は考えている。・・その埋納について・・御筆紺紙金字の法華経及び開結、心経、金剛寿命経、阿弥陀経に『堺』(魚々子)押鍍金花軸を着けて金銅篋に収めたとある」(*)

参考画像(右・下・**)は、平安時代の国宝金銀鍍双鳥宝相華文経箱の宝相華文の部分です。解説に「魚子地の部分に鍍銀し、宝相華文と双鳥文は鍍金されている・・本経箱は道長の経筒(1007)と彰子の経箱(1031)の間に製作されたものか」とあります。本軸首の魚々子地部分もやはり鍍銀されていたのでしょう。また製作年代についても、そのぐらいまで上る可能性があると思われます。平安時代の金工遺品、上品な柔らかみのある八角形の軸首は、その見た目の華麗さとはうらはらに、掌にずしりときます。
高さ約2.5センチ(金峯山出土のものと同寸です)

*画像・引用:『小さな蕾』2010.2 創樹社美術出版
**画像・引用:『藤原道長』(京博 2007)

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