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風招 百済青銅
馬形帯鉤
 

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馬形帯鉤は、裏面の丸いボタン状の突起に革ベルトの一方の端を装着し、ベルトのもう一方の端(に円形金具を取付けたか?)を馬の胸部から突き出た龍頭状フックに留めて使ういわゆるバックル。 同じ青銅製帯鉤でも、中国では龍形がほぼ定番で、こちらは春秋戦国時代が初源。

中国と朝鮮では様々な分野でことごとく違いがあるものですが、帯鉤もまた然り。朝鮮三国のどの国にも龍形帯鉤は導入されず、馬形帯鉤は半島東南部の加耶地域と中西部の百済地域にのみ独自に存在した装身具(BC1c頃〜4c後半頃)

そしてこの馬形帯鉤は百済と関係が深かった我国にも当然入ってはいるのですが、以外にも《出土地が判明している例》は僅か2例しかありません。

その一つが、岡山市の新庄下にある全長360mの巨大前方後円墳『造山古墳』に隣接する直径35mの”円墳"『榊山古墳』(5c前葉~中頃)からの出土品で、宮内庁の所蔵。
ネットで『宮内庁書陵部陵墓課/馬型帯鉤』と検索するとこの榊山古墳出土の6点の画像が見られます。

ちなみにここからは半島(加耶地域か?)由来の武具類と思しき、夥しい数の鉄製品の残欠も出土しているとか(倉敷考古館『よもやま話』より)。

もう一例は長野市浅川端遺跡から1点発見されているのみのようです。


なお、朝鮮半島での馬形帯鉤の出土分布は、
①半島東南部地域(慶尚道) … 伽耶諸国 BC1c~AD2c
②半島中西部地域(京畿道〜忠清南道) … 百済 AD2c~4c後半

で①が②に影響を与えた可能性が高いと考えられる。
(参考にさせて頂いた文献:『造山古墳群と東北アジア―榊山古墳出土品を中心に』土屋 隆史
『海を渡った馬形帯鉤』柳本照男)

さて本品の箱には『古墳時代』の貼り紙があり、これが日本出土と断定できればこんな嬉しいことはないのですが、信憑性は不明。
いずれにせよ数々の類例から推し量ると、製作地は②百済地域と考えてほぼ間違いないでしょう。


◆ 本体:長さ(幅):8.8cm、高さ:5.6cm。台込み:幅:9.5cm、高さ:7.5cm。

朝鮮出土青銅に特有の淡い緑青の美しさは特筆モノ。
状態も小さな尻尾まで欠損なく、非常に良好。
博物館には数あれど民間にはほとんど存在せず、我々が手にし得る数少ない百済の遺品という意味で極めて貴重な品です。


画像右列上段:百済第二の都があった熊津(475–538年、現公州)出土品 - 国立公州博物館蔵
    中段:第三最後の都があった泗沘(538–642年、現扶余)出土品 - 国立扶余博物館蔵

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