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古代から窯業というのは最先端のハイテクを駆使した産業でありました。産業というと経済活動と混同してしまうかもしれませんが、古代から中世にかけては宗教用具をたくさん焼いたことでもわかるように、いわば国家や貴族などからの発注を受けた聖なる行いの一環であったのでしょう。
しかし中国銭を輸入しての貨幣経済と市場の勃興で力を付けた庶民階級によって、様々な生活用具の需要が起こり、それが窯業地に波及するという流れがありました。中世古窯の代表的器種の「壺、甕、擂鉢」が各地の窯で競って製作され、海運によって需要地に運ばれていきました。
さてそんな中で各古窯では質素な焼き締め陶が主に焼かれていたわけですが、この瀬戸の土地でのみ精良な施釉陶器が焼かれていました。豊富な陶土と優秀な製陶技術によって生み出されたそれらはさぞや当時の人々を瞠目せしめたことでしょうね。
この碗は室町時代の改良された灰釉で覆われた当時のヒット商品であったでしょう。小さな盃サイズのものから大鉢までいろんな大きさはありますが、基本的に同じ器形で焼かれたものが発掘などで見つかっています。
これももともとは発掘だったかもしれません。口縁部外側にひっつき痕があって歪んでいますので物原に捨てられたかも、それをいつの時代か(おそらく江戸時代頃の発掘かと思っていますが・・)茶人に取り上げられて伝世してきたもののようです。
口縁の古い繕いがそれを物語っていますし、高台に染み込んだ伝世味もまたそう感じさせてくれますね。
見込みには滑らかに融けた灰釉がどっぷりと掛けられて鏡の横に濃いオリーブグリーンの釉溜まりを見せてくれています。しっとりとした味の高台は内側が浅く削り出されて、際の部分の指痕が景色になっています。
箱には裏千家のお茶人の印が押してあり、お弟子にでも進呈したのでしょうか。詳細はよくわからないものの、日々のお茶に使用したものと見えて口縁に茶渋が残り、貫入にも味が染みています。
中世のうつわで日々お茶を飲む、これほど贅沢な時間を過ごすことが出来る国はなかなかないでしょう。それくらい日本は古物を大切にし、また伝えてきたわけです。
皆さんもぜひその一人としてこの壮大なバトンリレーに御参加ください。
口径13.7~15.7センチ 高さ5.2~6.7センチ
室町時代
桐箱に収められています。
口縁部に金繕いが3か所、その内の一つはピースを呼び継いでいるようです。そこから高台際にかけてニュウがありますが高台内には通っていません。
御売約ありがとうございます。
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