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世の中には特に美術好きでなくとも誰が見てもすぐにそれと分かる作家がいますが、棟方志功もそんな中の一人。
世界に通用する芸術家は皆それだけ強烈な『個』を持っているものですが、棟方自身は「自分の作るものに責任が持てない」と語ったとか。
内に激しいインスピレーションを持つ作家や音楽家たちは異口同音にしばしば「(自分の仕事は)自分のチカラではない。神が降りて来て私のカラダを使って為しているのだ」というような事を云いますが、棟方の言葉もほぼ同じ理由に端を発するものなのでしょう。
無尽蔵に沸き上がる創作のエネルギーを自らコントロールする事が出来ない、次にナニが沸き上がって来るのか自分でも想像がつかない、といった程の意味と思われ、芸術家としては本当に羨ましい限りの境地。
…とノッケから語っておいて今さら言うのもナンですが、私は決して棟方のシンパではありません(失礼!)。ただ彼の凄まじい創作意欲には瞠目せざるを得ないのです。
さて本品に目をやると、箱の蓋に描かれた大首絵で、おそらく濱田や河井など民藝運動の仲間の作品を収めた箱だったのではないかと想像します。棟方は版画を「板画」、肉筆画を「倭画」と呼んだそうですが、本作はさしずめ「板倭画」と云ったところでしょうか。
棟方の真骨頂は何と云ってもほとばしるエネルギーとスピード感、そして大胆な構図にあると思いますが、板に墨のみでおそらくは瞬間的に描かれた本作にもそれは如実に表れています。
自分は個人的には棟方の「油」が割と好きですが、とは云え油は力と個性が強過ぎて他のモノを寄せ付けないところがある様に思います。その点、板に墨だけの本作は主張し過ぎず骨董との相性がバツグンに良いのです。これは骨董好きが絵を飾る場合、かなり重要なポイントですよね。
しかも民藝テイストのモノでなくとも結構合う。思うに棟方(と河井)はそもそも民藝運動と云う枠に収まりきらない作家なのでしょう。
なお板に肉筆の本作は、なぜか棟方の鑑定機関では作品としての位置付けがなされないそうで、本人の真作であっても鑑定は出せない、という立場だそうです。他にもそういった作品はあり、例えば団扇なども出ません。
なんか戦力外通告みたいで寂しいですが、棟方の真筆である事は間違いなく保証致しますのでご安心ください。その分価格的にも棟方作品としてはかなりお求め易いと思います。
◆ サイズ:作品 24cm × 24cm、額 42cm × 42cm。
段ボールのタトゥ付き。額はマットな黒です。
余談:いつも文章を書く時なるべく短く簡潔に!と思うのですが、結局また長々と書いてしまいます。なかなか枯淡の境地に至りませんが、今しばらくはお付き合いを。
☆ ご売約となりました。ありがとうございました。 |
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