骨董をもっと身近に fufufufu.com
初めての方 全商品 ログイン 新規登録
 検索/品名  価格 円~ 円  ジャンル

半蔵門ギャラリー 法隆寺伝来平安経断簡軸装  

お店紹介

店主紹介

その他の商品

※画像をクリックすると、大きな画像が表示されます。
     
 
見どころの多い、たのしい古写経一幅です。
まず目に入るのは「法隆寺一切経」(*1)の墨印です。少なくとも鎌倉時代には法隆寺に伝存していたことがわかります。また巻頭の見返しの茶の料紙が端に入ることで、片身代わりの配色が景色となり、墨印を一層引き立てます。

そして何と言っても、甚だしい虫損にも負けない、見事な、味わい深い平安時代の書です。巻頭であるため、入魂の書とみるのが自然で、書き手の技量が遺憾なく発揮されていると考えられます。針より細い筆線でありながら、途切れそうな弱さはなく、次の瞬間には、幅3ミリほどの豊かな膨らみにつなげています。また特にハタク(右払い)の、太く強い姿、所々に表れる短く太い縦画など、変化に満ちた濃く深い墨色による筆線の妙は見事です。くわえて、書写は僧侶の手によるもの(*2)と考えられ、所謂写経生の手ではないところも、書の味わいにあらわれていると思われます。

参考画像、上は、『昭和資財帳7 法隆寺の至宝』掲載の『大方等大集経 巻第四』の巻末、下は、東博の『仏画写経貼交屏風2』掲載、同じ筆者の可能性もあると感じる一葉で、判りにくいのですが、左端紙背に「法隆寺一切経」の墨印が確認できるものです。参考画像どちらも、平安時代の書(上:保安三年(1122年)、下:12世紀前半)ですので、本断簡を平安時代と比定する根拠と考えます。

内容についても経名品題を含む巻頭、『大方等大集経』の「初魔苦品」の始まりの部分です。以下、経文です。

大方等大集經寶幢分第八初(←?・1)魔苦品第一 巻二十四 曇無讖
爾時世尊故在欲色二界中間大寶坊中。與
諸眷屬圍繞説法。告大衆言。我昔初得阿耨
多羅三藐三菩提已(←?・2)。住王舍城迦蘭陀長者
竹林。爾時城中有二智人。一名優波提舍。二
名拘律陀。具足成就十八種術。五百弟子常
相隨逐。是時二人各相謂言。若有先得甘露
味者要當相惠。時有比丘名曰馬星。於其晨
朝從禪定起。入王舍城次第乞食。憂波提舍。
中路遙見馬星比丘。即作是念。我久住是王
舍城中。初未曾見若一(←?・3)人沙門婆羅門
等威儀庠序。如此人者。我當往問所事何師從誰

本断簡と「大正新修大蔵経」との異同
←?・1・・・「八初」の代わりに「九」
←?・2・・・「已」の代わりに「時」
←?・3・・・「一」がない

文字を追っていくと何となくお分かりと思われますが、世尊の説法から始まり、優波提舍(ウハダイシャ)と拘律陀(クリダ)が立派な馬星(メショウ)比丘に出会い、その師を尋ねる場面だと思います。(*3)地名も、王舎城は古代インドのマカダ国の首都で、現在のあの辺りだと分かり、歴史にまで思いが至る部分です。

平安時代の僧侶の書、鎌倉時代の木印「法隆寺一切経」の印影、そして、経文を辿り、お釈迦様の物語から仏教伝来へと、おたのしみいただければ幸いです。

表装は本紙に寄り添う古い裂を使用しました。
太巻き 本紙:27 x 26.5 cm  軸:90 x 33 cm


*1
「法隆寺一切経」の方印は大治(1126 ~ 30)に完成した大治一切経に踏している。凡そ鎌倉時代と推定される木印である。尚行信経や光覚願経などにも同様に捺されているが、これが当時大治一切経に具せられたという訳ではなく、流出を防ぐ為に現存の古経にも捺押したものと思ふ。故に表裏といはず、継目、其他箇所を選ばず又数の制限なく踏している場合も有る。
『日本写経綜鑑』田中塊堂 著

*2
法隆寺一切経は、聖徳太子信仰に基づき、11世紀末から12世紀初めの大治6年(1131)頃までおよそ3期にわたり、法隆寺の僧侶が勧進書写または蒐集して聖霊院に安置したもので有る。
『仏画写経貼交屏風2』東博

*3
国訳を資料としてお付けします。

*本紙墨印左「曇无讖」(ドンムシン・385 〜 433)、中国南北朝時代の訳経家
『仏教大辞典』
 


Copyright (c) fufufufu.com All rights reserved.