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民衆仏の愉しさは、彫刻作品としての優劣などまったく関係なく、オリジナルの我が道を行くといったような自由奔放な造形と、素朴ながらそこに込められた真剣な祈りの眼差しを感じ取れる点でしょうか。
いろんな地方にそれぞれ特色のあるほとけさまが造像されて篤く信仰されてきたと思いますが、その像容についてはお地蔵さまや観音さま、また阿弥陀さまが圧倒的に多かったと思います。
庶民にとってその日を生き抜くことが精一杯であったでしょうから、地獄に堕ちるような罪を犯した者でも救って下さること、極楽往生に導いてくださるありがたい存在、このことが願いのほとんどを占めていたのではないでしょうか。
さてこちらのほとけさまは、観音さまの中ではかなり異色と云いますか、類例の少ない如意輪観音。密教系の寺院などで祈願成就の為に修法されるほとけさまですね。すべての願いをかなえる如意宝珠を持ち、煩悩を破壊する法輪を併せ持つことから、強い法力を認められた六観音のおひとりです。
さてこのお方はどのような処にお祀りされていらっしゃったのか興味深いところですが、詳細はわかっておりません。
全体に煤を被らない白サビ状態であることから、清浄な神域の社におられたのではないでしょうか。これだけ大きなお像であれば個人の家の神棚に祀られるということはなさそうですし、それでまったく煤が被らず黒く変化していないのでしょう。明治以前については神仏混淆の時代ですから、神像のように認識されていたのかとも思います。想像ですが、山などを御神体にした神社を管理するお寺、そこの本地仏の御前立として造像されて祀られていたのが、いつの日か無住の寺となり、地域でお守りする人々も減少してこのように巷間に流出したものと思われます。
眠るようなお顔は子供のように純真無垢、稚拙な造形で手や足のバランスはなんとも妙なんですが、不思議と収まりがいいので不安感を感じるものではありませんね。もとの材を彫り込むのを極力少なくせざるをえない技術しかありませんのでそうなるんでしょうが、収まりよく破綻がありません。全体が伸びやかな印象を与えるのはかなり高く結い上げた髻のイメージがそうさせるものでしょうね。稚拙と云いながら知識がないと出来ない造形です。
先日は某テレビ番組で木喰上人の特集があったそうですが、これなどもそうした僧の仕事だったかもしれません。お上人の作品ならば手許に来ることもなかったでしょうけれど、名もなき市井の一遊行僧作と思われるこれもなかなか引けは取らないんじゃないかと手前味噌ながら思っています。
彫刻作品として愉しいだけでなく、民間信仰の貴重なお像として大切に次世代に繋ぎたいほとけさまです。
高さ49.7センチ 最大巾23.3センチ
時代判定は難しいのですが、上記のお祀りされていた場所の考察から江戸時代頃と考えます。
無垢の材ゆえに割れなどはあちこちに見られますが、大きなダメージではなく、補修などもありませんので、非常に良好な状態であると云えます。
御売約ありがとうございます。
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