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藍九谷とは、初期伊万里黎明期を経て更に窯業が発展する途上の1640年代頃から60年頃の九谷様式時代に焼かれた染付を指します。生掛け焼成の初期の素朴さをそのまま残しつつ、更に多様で技術を駆使した器たちを焼いていた時代。この頃はまだまだ一部の特権階級しか磁器が使えない頃、これもおそらくは高級食器としてやんごとない身分の方の食卓(卓と云うよりは膳と云うべきか)をにぎやかにしていたのかなと思います。
轆轤成形の後、木型でプレスしてかたちを作り、染付は吉祥文様のひとつである如意頭を白抜きで表現しています。見込み中央には家紋の桔梗が入れられていて、もしやするとこの家紋の武家の注文だったかもしれませんね。
外側の文様は芙蓉手から持ってきた区画文がごくシンプルな筆致で入っています。そして高台内には初期伊万里以来の唐物リスペクトである大明年製の在銘です。
長い年月を経て疵もあったり古い江戸時代の修理である焼き継ぎなどもあるのですが、大切に伝えられてきたものがそのまま旧家から出たものなので、ちょっと贔屓目に見てあげてください。
口径8.7センチ 高さ5.0センチ(それぞれ微妙に異なります。)
江戸時代前期
五客の内、疵の内訳は
(1)無疵
(2)焼き継ぎ修理、その修理の口縁部分に2ミリほどの削げ
(3)1センチ程の薄い削げが一つ、これは反対側からはわからないものです。
(4)5ミリほどの削げがひとつ、1ミリの削げが4~5か所ありました。約1.5センチのニュウが2 本 高台に5ミリの削げがひとつ
(5)1ミリの削げが5か所ほど、これには他にも削げに見えるところがありますが釉薬が掛かって いる部分もありますので疵に入らないものも混じって点在しています。
以上、状態が決していいとは云えませんが、薄造りゆえの華奢さから致し方ない部分もあります。ただいずれも大きなものではありませんし、実際にお使いになるのに大きく支障が出るものはありません。
蛇足ながら焼き継ぎ修理とは、江戸時代頃、まだ科学的な接着剤などがない時代に磁器の修理に使われていた技術です。硝子の粉を撒いて、そこを熱源で融かしながら接着させています。その修理を施したものには高台内などに修理者のサインが赤く入っていることが多いものです。
汚れが付着している部分がありますが、蔵からでたウブさを尊重してそのままにしております。食器としての場合は漂白剤などできれいにしてあげてからお使いください。
御売約ありがとうございます。
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