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古童 木彫 男神像  

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仏教伝来からおおよそ千五百年の月日が過ぎ去って、今や庶民の隅々にまでその教えは浸透しているのは皆さん当たり前に認識されておられると思います。しかし日本にはもともと古代以来の、森羅万象自然のすべてを神と崇めるアミニズムが厳然と存在し、独自の信仰形態を保っていました。

崇仏派と排仏派との闘いの中で次第に仏教は力を得て、敵対勢力を圧倒していきます。その時にただ単に相手を排除するのではなく、懐柔策としての本地垂迹説概念を導入していきます。すなわちもともと天竺で産まれた仏の教えを日本の民に教化する為に、在地の神々の姿に変え、親しい存在としてより深く浸透させようとした、つまり日本の神々は仏がその姿を変えたものである、したがって神にはもともとの存在である本地仏と呼ばれる仏が存在するものであると云々・・。

これは相当に考えられた大いなる屁理屈なのかもしれませんが、相手のことも思いやるという点で
なかなかにしたたかな戦略であったわけですね。そして仏像彫刻の影響を受けて、それまで山や滝、磐などを御神体としてきたものが、最初は神の依り代である鏡などの鏡面に線彫で、のちには神像彫刻として形に表されるようになっていきます。これが主に平安時代後期頃からでしょうか。

掲出の神像は体躯の表現にいささか類型化が見られますが、そのお顔立ちは古様な風情を残しています。時代の判定は難しいところなれど、鎌倉時代末期の可能性を孕む室町時代頃という風に考えております。

神像の場合は香を焚きしめるということはあまりなく、白く清浄な状態のままということが多いもの。また長い間には寺院の経営も紆余曲折があって(神仏混淆の時代ですので神々を護る僧侶が存在したり、同じ山内に神社と寺が混在することも至極当然でありました。)火災で焼失したり、風雨に朽ちてしまったりということが大変多かったようです。

これもいろんな部分が虫食いで荒れているのですが、その立体造形としての魅力が愉しめるもので残ってくれているところが有難いですね。特にその威厳のあるお顔!優しく穏やかで静謐なその表情は何もかも見ている人々の苦悩を受け止めて優しく癒してくれるようです。

関西方面で出てきたもので、田舎で作られた民衆仏的なものとは一線を画す都作の上手のものであると思います。台座はもともとなかったのですが、この彫刻はぜひとも座辺にて飾って愉しんで頂きたい想いから私が製作を依頼しました。

いろいろな神像彫刻はあると思います、いかにも平安仏と思われるものでもお顔が荒れてまったくわからなくなってしまっているものも多いのですが、それよりもこうした木彫はやはりお顔が一番大切だと考えます。ですから古くとも状態のあまりに悪いものは見ていてツライものですし、状態が良くても近世の力のないものではやはり愉しくありません。古様さと状態と、あと何より重要な優しいお顔とで、大いにお勧めしたい神像彫刻の一品です。

高さ(台座込み)25.3センチ 本体横巾12.5センチ

画像でご覧いただけるように虫食い穴や、無垢材を使用する為に割れが生じている部分があります。割れについては、それほど良くない材でも霊木信仰からあえて使用する例も多々ありますので、欠点に数えなくともいいかと思います。

御売約ありがとうございます。
 


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