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古童 古高取 水指  

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 近世の夜明けと中世の残滓が交錯する時代に朝鮮陶工が渡ってきて始められた桃山の陶芸、それはおもに薩摩や長州、肥前や筑紫の地で大きな花を咲かせました。各地の大名が茶と云う、必須の教養(それは大いに政治、戦略、外交として必要なことでした。)に使用するための道具を自ら作り出して利用するためのものでしたが、結果的に陶芸史上に画期的な発展をもたらしました。

 そのひとつ、福岡県は直方市、鷹取山の麓に築かれた内ヶ磯窯の水指をご紹介します。最初に築かれた永満寺宅間窯の北側、慶長19年(1614年)に開かれたのがこの内ヶ磯窯です。

 その作風は織部的な威風堂々、豪放を持ち味とした如何にも桃山スタイルのものです。備前や南蛮、美濃の影響が色濃く見られるもの、歪みやへこみ、うねるような造形が特徴ですね。

 こちらは円筒に作った後に意図的に歪みを付けています。内側にはリズミカルな叩き痕が青海波状に表れていて、これがひとつの見所です。胴にはグッと強いヘラが入り、段重のような形に二つの耳、備前的な造形センスに仕上げています。全体を覆う鉄釉は滑らかに溶けて焼き締め陶のような膚合いを狙っています。

 またうれしいのは伝世箱に収まっているところでしょうか。質素な杉箱ですが江戸時代の箱と真田紐が残っているのは、とても大切に愛され、伝えられてきた証拠ですね。誂えた塗蓋もいい状態で添っているところもありがたいもの、支度、次第がきれいなお道具です。

 なお箱の貼紙には「朝せん耳付」と表記されていますが、これは当時高取は朝鮮唐津などと表記されて流通していたことによるもの、その影響で茶碗なども唐津に紛れてしまっていたものも多いわけです。昭和54年から始まった内ヶ磯窯の発掘調査で陶片が大量に採取され、朝鮮唐津茶碗と呼ばれるものの多くが古高取であることが判明しました。

 口径15.5~17.4センチ 高さ10.3センチ

 江戸時代初期

 疵はありません。

 参考画像は平成17年に福岡市美術館と青山の根津美術館で開催された開窯400年を記念した展覧会の図録です。全く同じものというわけではありませんが、その造形感覚は共通するものと思います。

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