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半蔵門ギャラリー 紺紙金泥一字宝塔経・戸隠類切  

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筆者を藤原定信(1088 ~ 1156?)とする紺紙金泥一字宝塔経『妙法蓮華経』です。
この場合の筆者は、いわゆる伝承筆者ではなく、実際の筆者(*1)と考えられています。該紺紙金字一字宝塔経は「紙を紺紙に染め・・宝塔は一行に九基・・版木で押捺してあらわし・・一基の中に一字を金泥の筆を運んで奉安する」(*2)、お経の一文字一文字を仏様とみる思想から生まれた、平安時代中期から後期にかけて行われた装飾経のひとつの形です。

この戸隠類切については、定信その人を語らずにはいられません。以下、参考文献の請け売りにてご紹介します。

仏教伝来以来、約一千五百年間で一切経五千余巻を一人で書写する一筆経をなし得た人物はたった二人しかいません。そのうちの一人がこの藤原(世尊寺)定信です。
定信は「平安の三跡(小野道風、藤原佐理、藤原行成)のひとり行成を祖とする世尊寺家五代を継いだ人」(*3)で、もともと「入木道の名門として世々相承したのでもとより手蹟に於てはいふまでもない・・この定信四十二歳の時私に願ふところがあって六十四歳まで実に二十三年間書きつづけた一切経がある」(*4)、そして定信は出家し名を生光と改めます。その後、時の左大臣藤原頼長は「定信の訪問を受けたときは、これに逢ふに漱ぎ、衣装を改めて面会し『渇仰同仏故礼拝之』と・・前代未聞の大業を遂げた定信の名は時の雲客をしていかに驚嘆せしめたかを窺ふに足る」(*4)とあります。

まさに生き仏です。書という技に長けただけでなく、信仰心の厚い人物で、時の権力者も定信を迎えるにあたり、口をすすぎ、衣服を改め、仏様のように拝んだということでしょうか。

本断簡は、根津美術館及び東博の図録掲載のものと同様に『妙法蓮華経』巻第二・比喩品第三(*6)からです。後者は「戦後、二紙の断簡が加賀・前田家から出た」一部(*2)とあり、本断簡もその可能性があると考えます。

また「戸隠類切には宝塔を押すのと、押さないものとがある」(*5)のですが、本断簡は見えにくいのですが宝塔が確認できます。

定信の真跡とされるものは幾つかありますが、二十三年間書き続けたこの一切経は現存しません、一葉も。
断簡とは言え、この定信による紺紙金泥一字宝塔法華経、この美を増しこそすれ貶めることなきよう、表装に時代の高野裂、金襴、金軸を使用しました。太巻

状態:本紙に折り皺と擦れ、金字に一部摺れ落ち、あり。

*1
「特異な筆癖から見て、行成五世の子孫世尊寺定信の筆と推定される」『古写経』根津美術館
「・・趣向としては、さきの『戸隠切』に倣う、同類のものか。・・両者は墨書と金泥のちがいはあるが、同じ藤原定信の筆である」『写経と仏教美術』小松成美

*2『写経と仏教美術』センチュリー文化財団
*3『古書画の鑑定と鑑賞』常石英明
*4『日本写経綜鑒』田中塊堂
*5『古写経』根津美術館

*6
求出意(舍利弗。是長者)
作是思(惟。我身手有力。)
當以衣裓。若以机(案。從)

・・出ずることを求める意なし。舎利弗よ、この長者は、この思惟をなせり「われ、身・手に力有り、当に衣裓(はなざら)をもって、若しくは几案(つくえ)をもって、舎(いえ)よりこれを出すべきや」と。『法華経 上』坂本幸男・岩本裕訳注 岩波文庫


どうもありがとうございました
 


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